日本で見つけたアルゼンチン 2

初めて訪れた那覇で、素晴らしいことがありました。昔、ブエノスアイレスに住んでいたことがあるという女性T子さんに出会ったんです。
パラソル通りと呼ばれる商店街を歩いてると、ブラジルのお土産物を売る店が。私にはサンパウロに住む大切な友達がいるので、そこにいたお姉さんに話しかけてみました。彼女のご両親はブラジルに移民し、彼女は沖縄に戻ってきたとのこと。私がアルゼンチンにいる家族のことを話すと、T子さんを訪ねたらいいと、地図を書いてくれました。
古い商店街の一角で、ひとりで南米料理を出す小さいレストランをやっているとのこと。迷路のような商店街で、1時間かけて店を探し当てました。T子さんは私の母より少し上くらいの歳ですが、若々しくて、流暢なスペイン語を話し、忙しいにもかかわらず、突然訪れた私の話を親身になって聞いてくれ、ご飯まで作ってくれました。
そのレストランには、私がいた間だけでも、面白い人たちがやってきました。ブエノスアイレスから働きにきている日系アルゼンチンの女の子、自分はイタリアで20年寿司を握ってきて、お姉さんはウルグアイに住んでいるというおじさん、息子さんがシンガポールの女性と結婚して、最近お孫さんが生まれて喜んでいるおばさん。何ていうんだろう、みんな世界と繋がっているんです。というのも、沖縄の人々は、第二次世界大戦の後、アメリカ軍の基地を作るために、この地を追われ、強制的に海外に移住させられました。痛々しい歴史でもありますが、カリフォルニアや南米に移住した人々は、いまでも沖縄のコミュニティを守り続けていますし(ブエノスアイレスでも、一番大きい日系人会は沖縄の会でした)、沖縄に住む人々にとっても、彼らのご両親や親戚たちが世界中にちらばっていることで、それらの国々を身近に感じています。沖縄の人は、人に対してとてもオープンで親切だと感じましたが、それが理由かもしれません。
気がつくと、もう真夜中近く。帰りは、T子さんのお友達が、船着き場まで車で送ってくれました。そして車の中で、T子さんがアルゼンチンと関わることになった歴史を簡単に話してくれました。それを聞いて、私は少し切なくなりましたが、この地で、不思議にも彼女に出会えたことに感謝しました。物語の映画の中にいるような夜でした。

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